以前はよく夕方の散歩でお会いしていた柴犬を飼っているおじさん。
いきなりゲリラ豪雨にあった時には一緒に雨宿りしたこともあった。
ところが最近そのおじさんと柴犬に全然出会わない。
どうしてるのかしら・・・と思っていたら先日久しぶりに散歩中にバッタリ。
開口一番おじさんは言った。
「実はね、昨年暮からずっと入院していましてね。
生死の境目を彷徨って家族も一時は諦めていたほどだったんですわ。」
今はリハビリも兼ねて犬の散歩をしているんですよ、とおじさんは柴犬をなでる。
あまりにもビックリしている私に向かって更におじさんは続ける。
「よく生死を彷徨ったヒトが三途の川の向こうで知り合いが『来るな』と言っていた、
なんて言うでしょ。私の場合はね、そういうモノは見なかった。
意識がかすかにある時は病室の壁に知らないヒトがたくさん見えて、
その後は小さな箱舟みたいなモノにちょこんと乗って中国の桂林みたいな風景の
知らない国に行ったんですよ」
おじさんの言う「桂林みたいな風景」とはもしかしたら水墨画のような
モノクロの風景が広がる場所、という意味だったのかもしれない。
なんとも興味深いハナシではないか。
彼の場合三途の川ではなかったけれどやはり「水」は1つのキーワードになるらしい。
死に対するイメージは人それぞれだしそれでいいと思う。
だって答えなんて誰にもわからないのだから。
私の場合死を迎える時のイメージというと真っ先に思い浮かべる映画がある。
アン・ハサウェイ主演の「パッセンジャーズ」(2008)だ。
巷の評判はそれほど良くなかったようだが私は大好きな作品。
この作品を観た時から私は決めている。
今もし私が死んだとしたら以前飼っていた犬のさぶろうが迎えに来てくれる、と。
生前互いに会ったことはなかったが動物好きだった父がさぶろうを連れて
一緒に迎えにきてくれるかもしれない。