馮小剛(フォン・シャオガン)監督、構図に対する策に溺れ過ぎたかなぁ…。
物語は一貫して他人の人生を覗き見しているかのように丸く切り取られた
フレームの中に映し出される。
舞台が北京に移動するとそのフレームは丸から四角へと変化。
そこには監督の何かしらの意図を感じるもののいかんせん映し出される映像が
小さ過ぎ、主人公以外の登場人物の見分けがつかない。
ましてや役人である立場の男性ばかりが次々と同じような服装で登場するからたまらない。
セリフの呼びかけでかろうじて誰であるかを判断しながらの鑑賞では
作品本来の良さを感じるところまでたどり着けず…。
主人公を演じる范冰冰(ファン・ビンビン)でさえ最後のエピソードで
フルスクリーンになって初めて彼女であることを認識できた私なのだった。
たった一人の田舎に住む女性に振り回されるお偉いさん方の情けなさは
クスクスと可笑しみを誘うものの、観終えて頭を過ぎったのは
「はて、監督は一体何を描きたかったのか?」という思い。
興味をそそるタイトルも内容とかけ離れてはいないものの違和感が残る。
潘金蓮とは不倫するふしだらな女性を象徴する名前だという。
しかし物語を追ったところで決して彼女はそういう女性とは言い難い。
原作小説を読めばもう少しスッキリするのかもしれないが・・・。
手放しで楽しめないのは主人公の言動に説得力を感じられないことが大きい。
そもそも彼女が元夫を訴えると言い出した理由に感情移入出来ないのだ。
主人公に魅力を感じられないことは作品にとってかなりのマイナスと言えよう。
ひとのうわさもなんとやら。
ラストで語られるように彼女にまつわる大騒動もやがてはただの笑い話になる。
最後に見せる微笑みが現在の彼女の穏やかな人生を物語っている。
<「大阪アジアン映画祭2017」にて鑑賞>
2016年 中国映画